芥川龍之介

わたしは良心を持つてゐない。

「わたしは 良心を 持つてゐない。 わたしの 持つてゐるのは 神経ばかり である。」芥川龍之介 「わたし」『侏儒の言葉』Amazon最安値で出品中です。Amazon 古本 最安値 【構造と力―記号論を超えて (単行本)浅田 彰 (著) 】ふぃでりお 「Amazonマーケットプ…

日本の文芸−読者に親密

「・日本の文芸の特色、−何よりも読者に親密(intime)であること。」 芥川龍之介『文芸的な、あまりに文芸的な』

詩人たちの中にもヒステリイの患者は必ずしも少くはない

「・若し殉教者や革命家の中に或種のマゾヒストを教え得られるとすれば、詩人たちの中にもヒステリイの患者は必ずしも少くはないであろう。」 芥川龍之介『文芸的な、あまりに文芸的な』

芸術さえ大量生産を要求

「・今日の日本は芸術さえ大量生産を要求している。」 芥川龍之介『文芸的な、あまりに文芸的な』

一生に一度の我儘かも知れない。

「僕は勿論死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。他人は父母妻子もあるのに自殺する阿呆を笑ふかもしれない。が、僕は一人ならば或は自殺しないであろう。…今、僕が自殺するのも一生に一度の我儘かも知れない。」 芥川龍之介「遺書 小穴隆一氏へ」

僕の小説は僕の体験

「僕も告白をせぬ訣ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。けれども諸君は承知しない。」 芥川龍之介「澄江堂雑記」十六 告白

夢だから、猶生きたいのです。

「夢だから、猶生きたいのです。あの夢のさめたやうに、この夢もさめる時が来るでせう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云へる程生きたいのです。あなたはさう思ひませんか。」 芥川龍之介「黄梁夢」

雨は…遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて来る

「雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に重たくうす暗い雲を支えてゐる。」 芥川龍之介「羅生門」

どうも酔ぱらふとだらしはありませんで まるで夢のやうな始末で

「「どうも酔ぱらふとだらしはありませんでね。何をどうしたんだか、今朝になつてみると、まるで夢のやうな始末で」と月並な嘘を云つてゐるが、実は踊つたのも、眠てしまつたのも、未にちやんと覚えてゐる。さうして、その記憶に残つてゐる自分と今日の自分…

誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる

「悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代りに、煙草は、洽く日本全国に、普及させることが出来た。して見ると牛商人の救抜が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはいないだらうか。悪魔…

芥川龍之介

「文を作らんとするものはいかなる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていなければならぬ。」 芥川龍之介

ああ言う踏み台だけはどこの古道具屋にも転がっている。

「あらゆる古来の天才は、我我凡人の手のとどかない壁上の釘に帽子をかけている。尤も踏み台はなかった訣ではない。 又 しかしああ言う踏み台だけはどこの古道具屋にも転がっている。」 芥川龍之介『侏儒の言葉』

この遺書を公にするに当つて、幾多の改竄を

「勿論予はこの遺書を公にするに当つて、幾多の改竄を施した。譬へば当時まだ授爵の制がなかつたにも関らず、後年の称に従つて本多子爵及夫人等の名を用ひた如きものである。唯、その文章の調子に至つては、殆原文の調子をそつくりその儘、ひき写したと云つ…

言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えて

「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。」 芥川竜之介『侏儒の言葉 ; 文芸的な、余りに文芸的な』

芥川の作品は銀のピンセツトで人生を弄んでゐる

「芥川の作品は銀のピンセツトで人生を弄んでゐるやうな、理智の冷たさがある……」 菊池寛

芥川龍之介

「とりわけ、眼が異常だった。眼をふちどる黒いまつ毛が、瞳のうすい灰色や髪の焦茶色と異様な対照をなしている。」 テオフィル・ゴーチエ(小柳 保義)『魔眼』一度のぽちから始まる…♪テクスト礼讃 通信簿 購読 ↑そのままメール送れば、メルマガお届け♪----…

芥川龍之介

「世界は不朽の傑作に うんざりするほど充満している。」 芥川龍之介「文芸的な、あまりに文芸的な」