敗戦の時に当然、「日本」という国名を変えようという主張が出てきてもおかしくはなかった

「私が「日本」という名前にこだわったのも、誰も意識してこなかったと思ったからです。敗戦の時に当然、「日本」という国名を変えようという主張が出てきてもおかしくはなかったのです。たしかに天皇制反対は共産党が主張していましたが、「日本」という国名を変えようとは誰もいいませんでしたね。そのころ共産党が理想にしていたのは、なんといっても「日本人民共和国」だったのですから。それは「日本赤軍」にまで続いているといってよいと思います。この恐るべき" 鈍感さ"をどうしたら克服できるかですが、これは大変なことだと思いますよ。」

網野善彦
『「日本」をめぐって』講談社 2002 p.125