あらゆる祝祭は、一つの演劇的な事件、…神々の歴史の、目に見える演出であった

「祝祭は、時間の超克であり、一つの模範行為であり、明確な原型に従って行われるところの荘厳な行為であります。祝祭において起ることは、初めて起るのではなくて、儀式的に、先例にしたがって起るのであります。過去のものが現在となり、再び帰って参ります。丁度数々の祝祭が一定の時間を置いて再び戻ってくるように。またその祝祭の諸段階や時刻が、一番初めの出来事の時間通りの順序になっているように、古代においては、あらゆる祝祭は、本質的にいって、一つの演劇的な事件、仮面劇、司祭たちによって執り行われた神々の歴史の、目に見える演出であったのであります。」

トーマス・マン
フロイトと未来」
フロイトの思想』河出書房新社 p.23