その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。


「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他ひとにはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向いっこう私を反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が
彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然としていました。
Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐しいたげたり、道のために体たいを鞭むちうったりしたいわゆる難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解わからないのが、いかにも残念だと明言しました。」

夏目漱石
『こころ』三十一