すでに生命を失いたるその肉と骨とは、ただ黙然としてその座上に横たわりしなるべし

「渋沢家の奥ふかき一室において華麗なる装飾物の間において、かの小包郵便物の開かれたる時、意外にも現れ出でたるその血染めの手首は、はたして何事を渋沢家の人々に語りしか。吾人はその手首が堅くそのこぶしを握りつめいたりしか、あるいはそのしなびたる五本の指を延ばしいたりしかを知らざれども、いずれにせよ、すでに生命を失いたるその肉と骨とは、ただ黙然としてその座上に横たわりしなるべし。しかれども、その黙然の中に千万言あり。心ある人の耳は、その血に染まりたる肉と骨とより、明らかにその千万言を聞きうるなり。」

堺利彦
「切断せられたる手首」
堺利彦全集第一巻』法律文化社 p.259 1971