こっちが困りきっているのに、「だれか食べるでええわい」とはね。

「私の養父は、田舎の町長さんをしていました。本業は味噌、醤油の醸造業なんですが、あまり仕事はしませんでしたね。ほとんど仕事をせず、趣味に生きた人ですが、村のためにはたいへんつくした人です。あるとき、戦争中のことですが、米が盗まれたことがあるんです。今年食べる米が、盗まれてなくなってしまった。これは困りますよね。それで、養母が「あんた、どうしよう」って相談すると、養父は、「だれか食べるでええわい」といったんです。その言葉は、いまでもはっきりと憶えています。これ、なかなかいえませんよ。盗まれて、こっちが困りきっているのに、「だれか食べるでええわい」とはね。」

梅原猛
『少年の夢』小学館 1997 P.28-29