語源のおかげで可能となる≪二重写しの効果≫である。

「彼がdeception[だますこと、期待はずれ]と書くとき、それは≪捕えそこない≫という意味である。Abject[見捨てられた、卑しい、みじめな]とは≪投げ捨てるべき≫という意味だ。Aimable[愛らしい、親切な]は≪愛することのできる≫という意味である。Image[映像、イメージ]は≪模写≫だ。Precaire[心もとない、仮の、不確かな]は≪頼み込み、ねだって手に入れることのできる≫であり、evaluation[評価、見積り]は≪価値の設定≫、turbulence[さわがしい性質、乱れ]は≪渦巻き≫、obligation[義務、恩義]は≪結びつき≫、definition[定義、限定]は≪境界線を引くこと≫である、など。彼の言述にはいわば、彼が根から切ってきたとでも言えそうな語が充満している。けれども、語源において彼の気に入っているものは、語の真実とか起源などではなく、むしろ語源のおかげで可能となる≪二重写しの効果≫である。語が、パリンプセストのように見られる。その
とき私には、自分が≪ラングからじかに≫思考をいだくような気がするのだ――それこそ要するに、書く(ここで私は実践について語っているのであって、価値について語っているのではない)ということだ。」

ロラン・バルト佐藤信夫訳)
『彼自身によるロラン・バルトみすず書房 1979 p.121-122