揺れ動き、躍り上り、熱狂し逸脱する危険な全体なのだ

「……実際、行動する人間は全体を展望することはない。しかもこれは静謐な全体ではなく、揺れ動き、躍り上り、熱狂し逸脱する危険な全体なのだ。町の辻などで揉まれる神輿は、あたかもそれ自体の意志と力で奔走しているかのようで、担ぎ手の誰の意志があのように神輿を突如として旋回させはじめたり、はげしく上下させはじめたりするのかわからない。」

三島由紀夫
『陶酔について』