お金がどの客にも一度はきつとする話であつた。

「お金がどの客にも一度はきつとする話であつた。


どうかして間違つて二度話し掛けて、


その客に「ひゆうひゆうと云ふのだらう」なんぞと、


先を越して云はれようものなら、


お金の悔しがりやうは一通りではない。


なぜと云ふに、


あの女は一度来た客を忘れると云ふことはないと云つて、


ひどく自分の記憶を恃んでゐたからである。」

森鴎外
「心中」冒頭書き出し