マルクスは「構造としての社会」を提示した

「…現実の社会は、


個々人がそれぞれのパートを


なかば盲目的に弾いている、


ひとつの巨大な交響曲


であるかもしれない。


しかし


経験的にたしかめられる


自己の周囲になりひびく音は、


一見混乱していて、


楽曲の全貌はおろか、


そのような部分的な場所で


作用しているシステムですら、


把握することはできないだろう。


そのような巨大な交響曲


総譜として書きあらわすには、


経験的な方法は無力である。


すなわちひとつのモデルとしての


総譜をつくりあげ、


その総譜に書かれている


自己のパート


(それは他のパートすべてと


論理的・構造的に関連し、


総譜の全体性のなかに


整合するものでなくてはならない)


が、


はたして


経験的にたしかめられる


自己の音や


周辺になりひびいている音を、


そのようなものとして


解釈できるかどうか


たしかめるほかはない。


つまりマルクスは、


資本主義社会の


かくされたシステムを、


いわば『資本論』という


ひとつの総譜として


書きあらわし、


モデルである


「構造としての社会」


を提示したのだ。」

北沢方邦『構造主義
講談社現代新書 昭和43年 p.90