「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」「私は止める」

「翌十九日、


北一輝西田税は、


青年将校らと同じく銃殺刑に処せられた。


すでに支那事変はエスカレートし、


日本軍は南京方面に向かう作戦を計画していた。


処刑前に


横に並んだ西田税が、


「最後に天皇陛下万歳を三唱しましょう」


といったが、


北は、


「私は止める」


といい銃弾を受けて、


五十五歳の生涯を終わった。


戒名は


「経国院大光一輝居士」


である。」

豊田穣
『革命家 北一輝講談社文庫 1996「第六章五・一五事件勃発!」末尾 p.545