2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
「私に会いにやってきた人が、私に向かってよく言うのだ。楽々とお書きになるようですね、と。とんでもない!私は、楽々となど絶対に書けない!たいへんな苦労を払って、やっとこさ、書いているのだ!それに、ものを書くというのは、ひどく疲れる。神経を繊…
「日本の多少とも体系的な思想や教義は内容的に言うと古来から外来思想である、けれども、それが日本に入って来ると一定の変容を受ける。それもかなり大幅な『修正』が行われる。さきほどの言葉を使えば併呑型ではないわけです。そこで、完結的イデオロギー…
「自分の引用文を筆写するのにあと二ヶ月の仕事が必要だ。」バルザック 『現代史の裏面』Amazonで買う
「…私たちは「われわれはこういう国だ」という名乗りから始まった国民ではないからです。」内田樹 『日本辺境論』新潮新書 2009 p.106-107Amazonで買う日本辺境論 (新潮新書)posted with ヨメレバ内田 樹 新潮社 2009-11 Amazon楽天ブックス図書館YouTubeで…
「(b)事物を解釈することよりも、解釈を解釈する仕事のほうが多く、他のどんな主題に関する書物よりも、書物に関する書物のほうが多い。われわれは互いに注釈をし合ってばかりいる。(c)注釈書はうようよしているが、著者は大いに不足している。」モンテーニ…
「経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためではなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである。」ジョーン・ロビンソン(都留重人、伊東光晴訳) 『マルクス主義経済学の検討』紀伊國屋書店、p.38Amazonで…
「自分の書物の三ページか四ページ分のなかで、五十人以上の異なる著者の名前とその見解を報告する人間、その著書の全体を歴史や格言の気の利いた言葉を無秩序に積み上げて一杯にした人間、『歴史と詩とは、書物に関する自分の獲物である』と言った人間、い…
「われわれは次のように言うことを知っている。『キケロがこう言った。これがプラトンの教えだ。これがアリストテレスの言葉だ』と。けれども、われわれ自身はいったいどう言うのか。われわれはどう判断するのか。われわれはどう行動するのか。あんなふうに…
「子供はお手玉で遊ぶが、大人は言葉で遊ぶ」モンテーニュ 『エセー』第二巻、第十八章、650aエセー〈1〉posted with ヨメレバMichel de Montaigne 白水社 2005-10 Amazon楽天ブックス図書館
「私は子供のころから、アジアという歴史地理的空間に身を置いているという感じが好きでしたし、宮崎滔天のような生涯を送れればどんなにいいかという子供っぽい夢を持っていました。いまでも自分の可視範囲は、西はパミール高原か安南山脈までで、そこを西…
「お説ごもっとも。けれども、わたしたちの畑は耕さなければなりません"Cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin"ヴォルテール 『カンディード』カンディード 他五篇 (岩波文庫)posted with ヨメレバヴォルテール 岩波書店 2005-02-16 Amazon…
「著作に先行する序文において、著者は通常、自分が提起した目的、書くに至った契機と、同じ主題に関して先行の、あるいは、同時代の諸論文と自分の作品が結んでいる関係がどのようなものであるかを説明することになっている。」ヘーゲル 『精神現象学』序文…
「われわれの『資本論』の哲学的な読み方がいかなる点で有罪であるかという点については次の通りである。すなわち、マルクスが彼自信の古典派経済学の読み方においてわれわれに強烈な教訓を与えたその諸規則をそのまま遵守して、われわれがマルクスを読んで…